○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。
今日は、参考人の皆さん、本当にありがとうございます。
まず、全員に同じ質問をしたいんですが、それぞれの御意見の中で、自立した生活とはどういうことかとか、それから家族への支援の乏しさとかいろんなお話があったと思うんですが、この条約に向けて様々な障害者施策の前進の一方で、例えば社会保障改革推進法などでは、むしろ自助、共助を非常に強調するということも流れとしてはあるわけですが、そういう自助、共助が強調される風潮や施策と、この障害者権利条約で進めていくこの自立の方向と、どういうお考えか、どういう課題があるのか、それぞれからまずお聞きしたいと思います。
○参考人(東京大学先端科学技術研究センター客員研究員 川島聡君) ありがとうございます。
自助、共助、公助という場合に、圧倒的に公助が足りない現状で自助を強調するというのは、これはふさわしくないと思っております。公助が十分にある中で共助、自助というんでしたらまだ分かるんですけれども、現状で、障害のある人が社会参加できなくて、公助が圧倒的に足りないので、ここで自助を強調するというのは、これは障害者権利条約の規定に反するようなものだと思っております。
ありがとうございます。
○参考人(特定非営利活動法人DPI(障害者インターナショナル)日本会議 事務局長 尾上浩二君) ありがとうございます。
非常に大切な点、こちらもいただいたと思っています。
この権利条約の第十九条の自立した生活というのは、権利条約でもそうですし、私たち、口幅ったい言い方ですけれども、障害者運動が自立生活運動ということで、自立の概念を変えてきたと。つまり、これまでは人の手を借りないこと、あるいはいろんな支援を得ないことが、独り立ちできることが自立だというふうに言われてきたのが、そうではなくて、障害ゆえに必要な部分の支援を得ながら自己決定をし自分らしい生き方をしていく、それが自立だという考え方になっていったというふうに思っているんですが、その考え方が、まさに支援を得ながらの自立ということで今回の権利条約に埋め込まれたというふうに考えております。
その点からしますと、具体的には、日本の場合、まだまだ家族依存を前提にした形でいろんな制度がつくられているんですね。私自身、現場で同じ障害を持つ仲間を支援してきた中で、二十五年入所施設に入所されていた方が、学校に行けなくて、夜間中学に行きたい、学びたい、そういう思いを持って五十にして施設を出ようと思ったときに、なかなかやっぱり働く場もない、年金も不十分という中で、そのときにやっぱり生活保護を使おうということになったんですね。ところが、その際、お兄さんに連絡をしたときに、いや、そんな生活保護を使ったり人の手を借りるんだったらもう自立しなくていい、施設にずっといてくれたらいい。悲しいことですけれども、一番最初に反対されたのは御家族でございました。
やはり、御本人が自立したいと思っているのに、そういう扶養義務や、先ほどのあれでいえば互助ということになるんでしょうか、それがやっぱり強くなると、この権利条約が言う十九条の自立とそごが出てきてしまうところがあるのではないか、それが実際に支援の同じピアというか仲間として支援をしてきた立場からの実感でございます。
○参考人(社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会 理事長 久保厚子君) 私どもは、やはり一番に公助がしっかりとあるべきだというふうに思っております。その上でお互いが、私たち育成会は本人と家族の会でございますので、お互いに支え合い、そしてどうすれば本人のためにいいのかということを私たちの方から発信するということも含めまして、共助、ピアの部分の共助というふうに思っております。
今、知的障害の部分では、本当に悲しいことではありますけれども、障害のある、重度の障害のある子を抱えながら自死をするということが今もあります。
私、滋賀の出身でございますけれども、去年、おととしですかね、やはりお母さんと娘さんとが暮らしておられまして、娘さんを殺して、そして自分も一緒に死のうと思って家に火を付けた、で、近所の人にお母さんは助け出されたというような事実がありますけれども、やはり、それはお母さんと娘さん、重度の障害のある娘さんの暮らしのところにきちんと支援が行き届いていなかったということが大きな理由であったというふうに思いますし、いろんなところで調べられても自助ではどうにもならない、そういうことが大きく立ちはだかっているから、そういうことが実態として事件としてあったというふうに思っております。
ですから、自助は、自分たちで頑張るということも大変重要ではありますけれども、お互いに支え合う、その前にやはり公助がしっかりと支えられるという、知的障害の場合は、今、福祉の制度は、御本人に対するサービスというか制度はたくさんありますけれども、家族に対する支援のサービスというのがほとんど、少ないというか、ないような状態ですので、そこの家族に対する支援というのをこれからもきちんと公助の部分で構築していただいて、支えていただくことが、そうした悲劇を再び招かない、そういう一つの大きなポイントになると思っております。
以上です。
○参考人(日本障害フォーラム(JDF)幹事会 議長 藤井克徳君) まず、私も先ほど言いましたように、この権利条約というのは障害者に新しい権利や特別な権利ということを一言も触れていません、五十か条の中で。専ら言っているのが、障害のない市民との平等性と。つまり、マイナスをうずめるという、まずこれをきちんとやる。大変控えめな、ある面では主張なんですね。
あるお母さんが言っていました。障害を持っているだけで鉛の洋服を着ているようなものです、これに自助と言われたら、また山でも登るのか、その服を着て、ということを言われたことがあります。私は、自助という言葉は他者から言われるものでは本来ないんじゃないかと。それは当然、人間ですから自主的に自分でやりたいということはいっぱいあると思うんですけれども、しかし、これはどうもこの公助との関係で言われた場合に意味が変わってくるだろうと、そんな感じを私は持っております。
以上です。
○井上哲士君 ありがとうございました。
それぞれの本当に現場の思いを踏まえた御意見ありがとうございました。
じゃ、個別いろいろお聞きしますが、まず藤井参考人ですけれども、川島参考人の御意見の中で、政府訳の課題として特定の生活施設という訳のことがありましたが、これ以外に条約の訳について、ここはどうなのかというような御指摘があればお聞かせいただきたいと思うんですが、いかがでしょうか。
○参考人(藤井克徳君) 生活施設に関しては全く川島参考人と同じ意見を持っています。
それ以外に、例えば聾という言葉ですね、今当事者団体のろうあ連盟自身が漢字では使っていません。したがって、ルビを振ったにしても、やはりこの聾は平仮名にしてほしいという言葉であります。
また、ICTという言葉があります。これはインフォメーション・コミュニケーション・テクノロジーなんだけれども、このテクノロジーを情報通信機器と訳しています。本来は、情報通信技術と訳すべきだと思うんですけれども、これによって随分政策へ影響すると思うんですね、機器と技術では。こういう点もあります。
同じように、先ほどのインクルージョン、インクルーシブに関しましても、やはりかつてノーマライゼーションが輸入した直後は常態化とか正常化と訳しました。どうもなじまない、むしろ原語を使おうと、そして定着していきました。インクルージョン、インクルーシブも、やはりこれは、最初は難があるかも分かりませんけれども原語でいくべきじゃないか、このようなことが気になります。
以上でございます。
○井上哲士君 ありがとうございました。
次に、久保参考人にお聞きしますけれども、成年被後見人の選挙権の回復という点で、私も質問もし、原告の名児耶さんのお話などもいろいろお聞きしてきまして、これは本当に、判決を受けて国会が対応できて、参議院選挙に間に合ったと、本当にうれしく思っております。
あれを受けて当事者の皆さんの喜びの声などがあればお聞かせいただきたいと思っていますのと、それから成年後見人制度そのものの更に改善が必要だというお話もありました。具体的にはどういうことをお考えなのか、お聞かせいただきたいと思います。
○参考人(久保厚子君) ありがとうございます。
公職選挙法の改正をしていただきまして、この参議院議員の選挙から多くの人が本当に胸を張って投票に行けたということは、今まではがきが来なかった、選挙のはがきが来なかったけれども、家にはがきが届いたということ自体がもううれしいという御本人の声がたくさん寄せられております。親としても、選挙のはがきが来るという、たったそれだけのことかもしれませんけれども、親としましても、一人前の一人の人間として国が見てくれているというようなうれしさがあります。その中で、みんなが胸を張って選挙に行けたことは本当に有り難いことだなというふうに思っております。
ただ、公職選挙法は改正されましたけれども、知的に障害のある人の選挙に参加する方法というのがまだまだ不十分だというふうに思っております。要は、候補者の情報を知的障害のある人にどのように分かりやすく届けるかということがありますし、字が書けなくても写真入りの何か、丸を付けるとか印をするとか指さすとかいうような、それで本人が投票するということも可能ですので、そういう投票の仕方みたいなものも今後御検討いただきたいなと思っているところでございます。
成年後見制度はほかにもいろいろと不都合はありますけれども、先ほどもお話がありましたように、もう一つは、県庁だとか市役所だとかいうところに知的障害のある人が実際にもう職員として働いている方が何人もおられます。ところが、だんだんと年をいかれますと、やはり親としても周りの者としても心配になりますので成年後見を使おうかというふうになりますと、選挙権回復の裁判でもありましたけれども、御本人が物事を判断できないというよりも、計算が苦手だからというので、そこが心配で親が成年後見を付けるというような方もおられました。実際に裁判を闘っておられる方にはおられました。
計算が苦手なだけで成年後見を利用するというような、本人の言わば所得、財産を守るという意味で成年後見を利用するというふうになりますと、今、行政、県庁だとか市役所に勤めている人たちは退職しなければならないというような事態にもなりますので、そうした欠格条項と言われるようなことを、成年後見制度があるからこそという部分を、今一つは具体的に申し上げましたけれども、洗い出して、そこを言わば私たちは門前払いはしないでほしいという思いがあります。参加できる条件があるけれども、選挙でも、私の息子は最重度ですから、選挙権はありますけれども、字も書けませんし判断ができませんから、選挙には行きません。そういうような状態で、ともかく障害があるということ自体が理由として、一般の方と同じように、他の者と平等でない、門前払いをされるというようなことがないようにしていただきたい、そこを洗い出していく必要があるんだろうというふうに思っております。
以上です。
○井上哲士君 貴重な御意見ありがとうございました。今後にしっかり生かしていきたいと思っております。
ありがとうございました。終わります。