国会質問議事録

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我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会公聴会

○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。
 今日は、六人の公述人の皆さん、本当に貴重なお話をありがとうございます。
 まず、濱田公述人にお聞きをいたします。
 砂川判決が集団的自衛権を容認したものでないにもかかわらず、そのように言われている今の在り方に批判のお話もありました。
 この砂川判決自身は、実は当時、マッカーサー駐日大使が日本政府に働きかけて、いわゆる高裁を飛ばす跳躍上告が行われたこと、また、当時の田中最高裁長官が裁判の見通しなどをマッカーサー駐日大使と個別に話をしていたということがアメリカの公文書館から明らかになっておりますが、裁判の中立性を私は大きく損なわせるものだと思いますけれども、濱田公述人の御感想というか御意見をお聞きいたしたいと思います。

○公述人(弁護士・元最高裁判所判事 濱田邦夫君) 田中耕太郎先生は有名な商法学者であられ、かつ、最高裁退任後は司法裁判所、世界の裁判所というところで長年お勤めになった大変偉い先生ですが、おやりになったことは司法に汚点を残す誠に残念な行為だったと思います。
 それで、先ほど坂元公述人が、最高裁はこの今回審議されている法案は違憲と判断しないだろうという大変楽観的な見通しを言われましたが、今の現役の裁判官は大変優秀な人です。その司法部をなめたらいかんぜよと。

○井上哲士君 ありがとうございます。
 今回の法案がアメリカが自衛隊に肩代わりをさせようとしているんではないかと、こういうようなお話をされているのをお聞きしたことがあるんですけれども、その点、いかがお考えでしょうか。

○公述人(濱田邦夫君) 今回アメリカが願っていることは、自国民の死傷、兵隊の死傷を減らし、国民の税金の負担を減らし、それを日本国民の死傷と税金に肩代わりしてくれと。どの国も自国の利益だけをこれは追求するのは世界の中で当然のことなので、私が心配するのは、現政権が、日本人の、殊に若い世代の福祉、生命、生活というものを本当に尊重してもらっているのだろうか、日米同盟の強化ということに凝り固まってアメリカの言わば手先になる、これだけ唯々諾々とする、まあ占領のときにも占領軍に非常に唯々諾々と日本は従いましたけれども、七十年たってまたやることはないんじゃないのというのが私です。

○井上哲士君 ありがとうございます。
 次に、松井公述人にお聞きをいたします。
 集団的自衛権の概念というものが、帝国主義が海外の権益を守るための議論の中で出てきたという公述がございました。一方、与党などからは、これは小さな国が共同して大国の武力行使から自らを守るための権利なんだと、こういう議論もされているわけで、現実に国連憲章にこの権利が盛り込まれた経過やその後行使された経過から、この点、お話しいただきたいと思います。

○公述人(名古屋大学名誉教授 松井芳郎君) 今日、そのお話をする時間がなかったんですけれども、国連憲章の中に集団的自衛権が入った経過についてはいろいろ議論があります。
 通説的な理解では、ラテンアメリカ諸国が第二次大戦後共同防衛をやろうと、ところが、安保理事会で結局常任理事国が拒否権を持つことになりましたから、そうすると、事前の許可がないと、原案では、武力が使えなかったんですが、それは困るというので国連に入らないというふうな騒ぎにまでなって、それをなだめるために集団的自衛権の規定が入ったんだという説明が一般的にされておりましたが、どうも違うのではないかという研究が一九七〇年代から九〇年代にかけて、一部ですけれども国際法学者や国際政治学者の間から出ております。
 それはつまり、アメリカのむしろ戦後の冷戦政策が主導した。ラテンアメリカ諸国が言ったのは、むしろ地域的機関が紛争の平和的解決できっちりイニシアチブを取りたいと、それに国連が勝手に口を差し挟まないでほしいというところであったのをアメリカが引き取って、むしろ安保理事会の介入を受けずに自由に地域的機関が武力を使えることを確保するために五十一条を入れたんだという研究が出てきまして、これは大変説得的な研究だというふうに思っております。
 たまたまソ連の場合は国連憲章の旧敵国条項というのがありまして、これだと安保理事会の制肘を受けずに武力が使えますが、アメリカの共同防衛の仕組みはそうなっておりませんでしたので、言わばソ連と並んで安保理事会から逃げるためという軍事的なアメリカの主張がむしろ主導したのではないかというふうに考えております。

○井上哲士君 集団的自衛権というのは本質的に他国防衛だというのは、これは舌足らずの説明だというようなお話も公述人からあったわけでありますが、政府は自国防衛のための集団的自衛権だと、今回の法案と、こう言っているわけですけれども、国際法上で見たときに、こういう御主張についてはどうお考えでしょうか。

○公述人(松井芳郎君) 集団的自衛権をどういう性格のものとして理解するかというのは、恐らく三説あるだろうというふうに思っています。
 一つは、個別的自衛権を共同して行使するという説ですが、これはちょっと憲章五十一条の文言とも合致しませんので余り支持はございません。
 もう一つは、あとの二つが今日の御議論にも関わるわけですけれども、一つは他国を防衛する権利だという考えですね。これは恐らく憲章ができた頃は多数説だったのではないかと思いますけれども、国内でいえば刑法の正当防衛の考え方を持ってくるわけですね。確かに、今日の御議論でも御指摘ありましたように、そうすると他衛になって自衛ではないではないかという議論があります。それにどこの国でも口を挟むということになると、どんどん紛争が拡大して戦争が世界規模で拡大する、これはまずいというふうな批判もあります。
 そこで、結局、大体現在落ち着いているのは、今の法案が前提にしている、自国と密接な関係がある国が攻撃を受けることによって自国の死活の安全が脅かされるからこれに対して戦うと、それが集団的自衛権だというのが今の主流の考え方だろうとは思っています。しかし、この考え方は、先ほども何人かの方から御指摘がありましたが、集団的自衛権の限定的容認というふうな言い方をされましたが、そうではなくて集団的自衛権の解釈そのものでありまして、これは限定的容認というふうなものではなくてやはり全面的な容認だというふうに考えております。
 それから、もう一言補充いたしますと、国際司法裁判所はむしろ他衛という解釈を取っております。これは学者からは批判が一時あったんですけれども、濫用を防ぐために、国際司法裁判所は、他国を守る権利なんだけれども、その守られる国が攻撃を受けたということを自認していて、かつ援助を公式に要求していることが必要だと、そういう形で他衛説の濫用の危険に対して歯止めを掛けようという意見を国際司法裁判所が出したことがありまして、これは一定の影響力を持っているように見受けられます。

○井上哲士君 ありがとうございます。
 いわゆる集団的自衛権というのは自然権だという議論に対して、これは慣習法の権利の承諾にすぎないんだというお話もございました。一方で、国会の議論では、これは自然権なんだから行使できるようにするのは当然だという議論がかなり行われているわけですけれども、その点どういうふうに御覧になっているのか。
 そして、こういう集団的自衛権の行使を広げるということが国連の集団的安全保障体制を強めることになるのか、どういう流れになるのか、その点の御意見をお聞きしたいと思います。

○公述人(松井芳郎君) 固有の権利という言葉は、実は先ほどちょっと触れました一九二八年の不戦条約が交渉されたときに、アメリカの国務長官がそういうふうな言い方をしております。つまり、自衛権というのは固有の権利だから、特に条約に書いておかなくても当然に認められる権利だという考え方を当時持っていたわけですね。
 しかし、その頃に比べますと、自衛権の考え方は随分、できるだけこれを制約するという方向で発達してきておりまして、例えば、かつてはまさに武力による攻撃がなくても自国の死活の利益が脅かされれば自衛権が発動できるというふうな考え方が結構あったわけですけれども、国連憲章の下では武力攻撃が発生することを要件にするという形で制約を掛けているわけですね。
 そのほかの事例、いろいろ、先ほどからサイバー攻撃なんというのも自衛権で対抗できるかという議論がございますが、それはさておきまして、そういう形で自衛権というのが次第に制約される方向、これは最初の公述でも申し上げましたが、原則はあくまで武力行使禁止で、これに対する例外でありますので、それが次第に制約される方向に発展していくことは自然な流れだろうというふうに思っております。
 国連の集団安全保障体制から考えますと、個別的であれ集団的であれ、自衛権が野放しで認められるということはもう集団安全保障の基本的な考え方から矛盾いたします。憲章もそういう形にはなっておりませんで、安保理事会が自衛権行使の必要については事後になっても審査をして良しあしを決めるという仕組みにはなっておりますけれども、安保理事会では御存じのように常任理事国は拒否権を持っておりますので、したがって、常任理事国かあるいはその同盟国が自衛権を口実に武力を使い出したら安保理事会にはなかなか止める手だてがないということになってしまいまして、その意味ではやっぱり、集団安全保障の基本理念と集団的自衛権とは矛盾するというふうに考えざるを得ないだろうというふうに思っております。

○井上哲士君 ありがとうございます。
 奥田公述人にお聞きいたしますけれども、この法案、廃案にするべきだと先ほどありましたけど、端的にどこが問題だとお考えでしょうか。

○公述人(明治学院大学学生・SEALDs 奥田愛基君) 国会のレベルで審議がまともに行われていないという話をさっきからしているんですけど、基本的な論理が変わっていないという話が、先ほどから説明があったと思うんですけど、論理というのは、どんな問いが来ても論理構造が変わっていなければ同じ答えが出るはずなんですね。でも、論理が変わっていないのに同じ問いを掛けたら違う答えが出てきたら、それは論理変わっているとしか言えないですよね。おかしくないでしょうかと。そのような状況の中で、この法律、つまり、説明している、政府が言っていることと実情がかなり違うんじゃないかと思うんですね。サイバー攻撃もいいんですけど、年金の問題とかどうなっているんでしょうかと、かなり思うわけですよ。
 憲法レベルでいうと、集団的自衛権は違憲であると先ほどから述べられていますけど、実際、後方支援という名の兵たん活動もこれは武力行使に当たるわけで、実際、違憲ですよね。武器等防護による武器の使用ということも、それももう先制攻撃か完全な集団的自衛権に当たるので、これも違憲であると言えます。
 また、法案レベルにおいても、新三要件があるから大丈夫だという話も、第二要件、第三要件に関して、これ法案上に書いていないんですよね。それは、その存立危機事態、事態対処法の第九条二項一号にちゃんと記載されていないことや、第三要件に関しては第三条の四項に関して書かれていないと。それって本当に法案の欠陥だと思うので、それはちゃんと書いた方がいいのではないでしょうかと思うわけですよ。兵たん活動のリスクが減っているけど危険は減らないとか、危険が上がるけどリスクは減ってとか、それも何か、何と言っているかよく分からないんですよね。
 あと、やっぱり武器等防護によって、自衛官というのが主体となって米艦や航空機を防護すると。自衛官が主語になってできるわけがないんですよ。もう自衛隊法九十五条の明確な法案レベルの欠陥をちゃんと直してほしいと。政策レベルでも、今防衛費を余り上げないと言っていますけど、上げないまま兵たん活動や世界中に行ってしまえば、日本の国防というのは結果的に下がるんじゃないでしょうかと思うわけです。さっきの自衛官の話も政策レベルに関わると思います。
 ほかにも言いたいことはたくさんあるんですけど、以上にします。

○井上哲士君 最後、政治政党と皆さんのやるような市民の動きについては、その関係についてはどういうお考えをお持ちでしょうか。

○公述人(奥田愛基君) 先ほどから特定の政治政党を支持しないということを強調しているんですが、逆に支持しないからこそシングルイシューで、このような国家の危機や憲法の危機に対して力を共にして今やれるべきことをやるということは至極真っ当なことだと思います。なので、よろしくお願いします。

○井上哲士君 ありがとうございました。
 今日は様々新しい論点もありますので、今後更にしっかり審議をしていきたいと思います。ありがとうございました。

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