国会質問議事録

ホーム の中の 国会質問議事録 の中の 2015年・189通常国会 の中の 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会

我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会

○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。
 私は、会派を代表して、鴻池祥肇特別委員長の不信任動議に賛成の討論を行います。
 参議院は衆議院の下部組織でなければ官邸の下請でもない、あの礒崎補佐官の参考人招致の際に鴻池委員長が言われたこの言葉に私たちは共感を覚えました。そして、その後、政府や与党、時には叱責するその姿にも私どもは共感も覚えました。しかし、残念ながら、この間の、とりわけここ数日の異常極まりないこの委員会の事態を見るときに、残念ながらこの言葉に反することが行われていると言わざるを得ないわけであります。
 一体、この間の異常極まりない事態はなぜ起きているのか。その発端は、中央公聴会の終了直後、地方公聴会の前日に、突然与党が、地方公聴会終了後、六時から締めくくり総括質疑を行い質疑終結をするという、乱暴極まりない、しかも異常な提案をしたことにあります。九月十四日のこの委員会での質疑の際に、総理自身が今の国民の理解について、まだ十分な理解を得られていないとはっきり明言をされました。にもかかわらず、なぜ終局などという提案ができるんでしょうか。
 本来、当然、理事会出席の野党は、このような提案は受けられないと主張いたしました。更に質疑をするべきだと表明をいたしました。ところが、残念ながら鴻池委員長は、野党各党の合意もないままに協議を打ち切って、職権で一方的に締めくくり質疑、質疑終結の日程を決めました。委員長の職にある者は、本来、委員会運営に当たっては中立公正を旨とすべきであることは言うまでもありません。にもかかわらず、この与党の乱暴極まりない異常な提案をそのまま職権で決めることは委員長の本来の職に全く反する行為であって、このような鴻池委員長を到底信用することはできないわけであります。
 とりわけ、昨日、横浜で地方公聴会を開いた後に、帰ってきて夜六時から委員会を開催するという日程は極めて異常かつ重大であります。本来、中央や地方の公聴会というのは、広く国民の皆さんの意見を聞いて、それを単に聞きおくだけじゃない、その意見をしっかりその後の審議に反映をされるために行うものであります。
 とりわけ、今回の公聴会は、これまでにも増して重い意味を持っておりました。それは、この法案が、憲法の大原則、国の在り方の根本に関わる法案であって、主権者国民の意見を広く聞いて審議に生かすことがどの法案よりも増して必要不可欠だということであります。だからこそ、国会周辺には今この瞬間にもたくさんの国民が駆け付けて、多くの市民が国民の声を聞けと、この声を深夜まで上げ続けているわけであります。
 だからこそ、このような大きな関心のある法案だからこそ、この十年間では最高の九十五人もの公述人の応募が、事実上僅か一日半であったけれども、ありました。そして、その全てが反対の公述でありました。この十年間で次に多かったのは教育基本法のときの十七人でありましたから、圧倒的に多かったんです。本来でいうならば、私は、この九十五人の応募された方全てから御意見を聞きたい。二度、三度、四度、五度と公述会を行うべきであります。
 そして、この中で、公述人の一人として来られましたあのSEALDsの奥田愛基さんのその公述は、本当に多くの皆さんの共感を得ました。彼はこう言いました。強調したいのは、政治的無関心と言われていた若い世代が動き始めているということです。私たちは、この国の民主主義の在り方、未来について、主体的に一人一人考え、立ち上がっています。今、反対のうねりは世代を超えたものです。七十年間のこの国の平和主義の歩みを、さきの大戦で犠牲になった方々の思いを引き継ぎ、守りたい、その思いが私たちをつなげています。私は、今日、その中の一人として、まさに国会を囲んでいるその一人としてこの場に来たと、彼は言いました。そして、どうか政治家の先生、個人でいてください、この国の民の意見を聴いてください、勇気を振り絞り、尊い行動を行ってください。私は、本委員会に参加する全ての委員がこの言葉を重く受け止めるべきだと思うわけであります。
 実際、この間の中央、地方での公聴会では、様々な新しい論点や疑問が出されました。それをよく検討し、そしゃくし、政府にも確かめ、そして質問を行ってこそ国会の役割を果たすことができると思うんです。
 中央公聴会で公述をされた松井さんは、そもそも集団的自衛権という考え方は先進国が海外の帝国主義的な権益を守るために考え出された概念であることを出発点として押さえておく必要があります、これを今の時点で改めて集団的自衛権の行使を可能にすると議論することは、日本の国の方向性としてそういう危険な方向に向く可能性があると危惧をされます、こう述べられました。
 そして、昨日の地方公聴会でも、前の日本学術会議の会長である広渡清吾さんはこう言われました。安保法案は、安倍首相の積極的平和主義の名の下に、自衛隊を武力行使する軍隊として世界に派遣し、自衛隊員が人を殺し、自ら殺される事態をつくり出すものです、まさに平和主義とは正反対の武力の積極的使用を意味します、戦後、日本国憲法が確立した個人の尊厳の原理と両立しません、さらに、武力行使をすれば国際紛争は解決せず逆に問題を生む、現にヨーロッパに押し寄せる難民の問題が示しています、こう言われました。
 そして、ドイツ法学の専門家として、ドイツ憲法に定められている難民の庇護権というものが、あの戦争のときのドイツの痛苦の経験と教訓から生まれたものであること、そのことが憲法九条と重なることだということも公述をされました。私は大変感銘を受けて、こういうことをお聞きいたしました。
 そして、弁護士の水上公述人は、今回の法案が様々な問題を持っていると。例えば後方支援をする際に、国際法、国連憲章などの裏付けがなくてもできるという問題などなど、様々な問題が言われました。そして、政府の答弁と条文が対応していない。彼は、本当に政府答弁を生かすのであれば条文をこのように変えるべきだという具体的な提案まで昨日の地方公聴会でされたわけであります。
 私は、こうした様々な意見陳述は、衆参で二百二十二回も審議が中断になるような、度々答弁不能に陥ってきた政府の答弁、そしてホルムズ海峡の機雷掃海にしても邦人輸送中の米艦防護にしても、集団的自衛権の立法事実そのものすらなくなったような、この間の、あのひどい政府答弁と比べると、これらの公述の中身ははるかに、はるかに豊かな内容でありました。
 しかし、昨日のあの地方公聴会に参加した委員は、この委員会の四十五人のうち二十人だけなんです。今委員長席に座っている佐藤理事も昨日は参加されておりませんでした。そして、今朝の未明に提案をされた今日の委員会で行うというこの地方公聴会のその報告書は、これだけの豊かな内容があるのに、たったA4一枚のものでありました。余りにもひどいと私たちが抗議をして、今朝はA4二枚になりました。委員会報告としては確かに限界があるでしょう。しかし、少なくとも、私は、地方の公聴会をやった以上は、この委員会にいる全ての委員がこの議事録をしっかり読むということは当然のことであります。それすらできないままに、帰ってきてすぐ質疑を行って終結をする、こんなことが一体許されるのか。与党の皆さんは、この公述人の議事録を読んだ人がいるんですか。私は、本当に公述人を愚弄するものであり、それは国民を愚弄するものだと言わざるを得ません。このような委員会運営は絶対に承服をすることはできません。
 さらに、この間の質疑の中で、統一見解、資料要求が繰り返し出されました。これらは、委員長などの努力で解決されたもの、出されたものもあります。しかし、今朝の理事会に出されたこの理事会協議事項の中では、まだ統一見解が五つ、そして資料要求は八つ残ったままなんです。私がおとついこのことを指摘をいたしますと、与党からは、努力をしていると、会期中には出せますものがあると、こうおっしゃいました。冗談じゃありません。委員会で採決をしてから、その後から出してどうするんですか。衆議院の質疑では、あのイラク派遣の行動史について政府が提出を約束をしましたけれども、それが出てきたのはあの強行採決の後でありました。自衛隊の派遣に関わるそういう重要な資料が後から出てくる。どうしてこれで質疑ができるというのか。まさに、このような衆議院の愚を絶対に繰り返してはならないというのが参議院の審議の在り方だと思います。
 理事会協議になった資料というのは、これは提出者だけではなくて、これは理事会全体のものでありますし、それを実行させるには委員長の責任があるわけです。これらを提出させることなしに質疑終局を提案をすること自身は、私は、まさに与党の責任放棄でありますし、それを受けられた委員長の責務を放棄したものと言わざるを得ません。
 さらに、我が党はこの審議の中で自衛隊の内部資料を繰り返し明らかにいたしました。自衛隊の統合幕僚部が作ったこの戦争法案の具体化の内容、計画、そして統合幕僚長の訪米報告の内部資料も明らかにいたしました。その中身は本当に恐るべきものでありました。自衛隊のトップが、昨年の総選挙直後に訪米をして米軍の幹部に対して、まだ安倍内閣、第二次、選挙後の安倍内閣の組閣も行われていない、法案についての与党協議も行われていない、ましてや、安倍総理が施政方針演説などしていないその段階で、自衛隊のトップがアメリカ軍に対して、この法案は八月までに成立すると、このことを表明しました。
 そして、その直前のあの沖縄県知事選挙で基地反対派の知事が県民の圧倒的世論で選ばれたにもかかわらず、政府は、方針変わらず辺野古の新基地を建設すると、このことをアメリカに対して表明をいたしました。アメリカの下で、全く国民を無視した自衛隊の恐るべき暴走だと言わざるを得ません。これを知っていたならば、政府は国会と国民を愚弄することになります。知らなかったならば、まさにシビリアンコントロールが、問わざるを得ません。
 統幕長は、私たちが出した最初の内部資料については、その存在を認め、国会に出されました。そして訪米資料については、同じタイトルのものはあると認めつつ、同一のものはなかったと言った。じゃ、どこが違うかと言いますと、それは言えませんと言いました。冗談じゃないですよ。何を隠しているんですか。この訪米資料の提出を私たちは求めてまいりました。これはまさにこの法案の質疑の前提になるもので不可欠なものでありまして、これも実現をしていない中で、どうしてこのような中で質疑の終結などができるのかという問題であります。
 そして、戦争法案は憲法を真っ向から否定する違憲立法そのものであります。そのことは審議を通じて浮き彫りになりました。憲法学者の圧倒的多数、そして日弁連、歴代内閣法制局長官が次々と国会に来て、議事録に残る形でこの法律は違憲だということを表明をされました。それでも、政府はこういう声を無視をして、憲法の番人は最高裁だと言いました。
 しかし、その最高裁の元長官自身がこの憲法は違反だと断じられました。そして、つい先日、この場に元最高裁の判事の濱田さんが来られて、やはり違憲だということを言われました。このような専門家の意見にまともに耳を傾けないという安倍内閣の姿勢について、私は昨日、地方公聴会で前学術会議の会長の広渡公述人に御意見を聞きました。広渡さんは、反平和主義、反民主主義、反立憲主義に加えて、反知性主義だと厳しく批判をされました。
 そして、濱田公述人は、なぜ自分が最高裁のOBなのにここに出てきたのか。現役の者に影響を与えるのはよくない、そんな思いもありつつも、今、日本の民主社会の基盤が崩れていく、大変な危機感があったんだと、こう言って、この場に来て公述をされたわけであります。衆議院に続いて本院での委員会審議を通じて、まさに質疑をすればするほど国民の反対の声が大きく広がっている。今、国会でも、この違憲の法案を採決すべきでないという声で、今この国会は包囲をされております。これに耳を傾けることこそ私は本院の、本委員会の役割だと思います。
 採決反対は、中央公聴会、地方公聴会の公述人の意見でもはっきりしております。まだまだ議論すべきことが議論されていないという指摘もたくさんありました。
 中央公聴会で濱田公述人は、今日ここで長時間座っているのが単にやらせでやらされているとは思いたくない、皆さんの良識、良心に従ってこの審議の帰結を決めていただきたい、私の意見としては、この審議は採決に十分達していないと述べられました。
 地方公聴会で水上公述人は、私は、十五日の中央公聴会を見て、この国の民主主義に希望を持ち、一方で、その後に、この地方公聴会の後に質疑終局を決めた理事会を見て、この国の民主主義に絶望しつつありますと、こう言われました。そして、その上で、委員長、この公聴会は慎重で十分な審議のためですか、採決のためのセレモニーにすぎないのであれば、私はあえて意見を持ち合わせていない、申し上げる意見を持ち合わせていないと、ここまで言われました。そして、公聴会を開いたかいがあったというだけの十分かつ慎重な審議をお願いしたいと述べられました。
 そして、水上公聴人は、その最後にこう言いました。国会は立法をするところです。政府に白紙委任を与える場所ではありません。ここまで重要な問題が審議において明瞭になり、今の法案が政府自身の説明と重大な乖離がある状態でこの法案を通してしまう場合は、もはや国会に存在意義などありません。これは単なる多数決主義であって、民主主義ではありませんと、ここまで声を上げられました。
 そして、広渡参考人は公述の中で、良識の府の参議院として、全ての議員が国民の代表として、国民の反対と不安を自分の目と耳で認識をし、法案の違憲性を判断をして、廃案にしていただきたいと、こう述べられました。
 私たちは、この公述人の皆さんの意見、その背後にあるたくさんの国民の皆さんの意見をしっかり受け止めることこそが今必要なことじゃないでしょうか。そんなときに、締めくくり総括とか質疑終局などあり得ないじゃありませんか。与党の皆さんは一体この公述人から何を聞いたんですか。どう受け止めているんですか。聞きおくだけなんですか。公述をセレモニーにする気ですか。私は、民主主義を愚弄するようなこのようなことは絶対に許されません。
 審議を打ち切り、採決強行の暴挙は、国民の意見に真摯に耳を傾け審議に生かす重要な機会を多数派の通過儀礼におとしめたというほかにはありません。鴻池委員長が言ってきた、衆議院の下部組織でも官邸の下請でもない、この言葉に真っ向から反する事態ではありませんか。このことを進めるような鴻池委員長を私どもは信任をすることはできません。野党のみならず、主権者国民の多数の声を踏みにじる暴挙、民主主義の否定という以外にはありません。立憲主義を否定し、この戦争法案を強引に成立させようという安倍総理と同罪と言わざるを得ないわけであります。
 私たちは、鴻池委員長の運営が多数派の政権与党の暴走に加担したものだと、このことは決して信任できない、このことを強く主張し、不信任動議に対する私の賛成討論といたします。

我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会横浜地方公聴会

○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。
 今日は、四人の公述人の方、本当にありがとうございます。
 昨日の中央公聴会も大変すばらしい公述をたくさんいただきました。今日も含めて、この声をしっかり審議に生かすことが我々の責務でありまして、にもかかわらず、この後に締めくくり総括をして質疑を終局しようなどという動きは断じて許されないということを改めて私からも申し上げたいと思います。
 その上で、広渡公述人にまずお聞きいたします。
 今回、非常に国民的運動の広がりがあるわけですが、その中でも学者、研究者の分野での広がりには本当に顕著なものがあるということの御紹介がありました。特に学者、研究者における広がりがあるその理由。そして、そのことに対して与党などからは、学者は字面に拘泥し過ぎるであるとか、それから安保の専門家でない者が何を言うのかとか、こういう趣旨の議論が行われております。
 私は、今の安倍政権は、自分の同じ意見の専門家の意見は聞くが本当に幅広く聞くという謙虚さに欠けるなと感じることが多いわけでありますけれども、その辺、広渡公述人の御意見をお願いしたいと思います。

○公述人(専修大学教授・東京大学名誉教授・元副学長・前日本学術会議会長 広渡清吾君) ここでこういうことを申し上げるのは甚だ不謹慎かもしれませんけれども、安倍政権が今回この法案を強行していく過程の中で、反平和主義、反民主主義、反立憲主義というのはいろんな人がいろんな形で論じていますが、学者の皆さんが感じていることは、本当に申し訳ない表現を使いますけれども、反知性主義だと。
 まず、特にこれは憲法に関する専門家の意見ですけれども、これはもう皆さん御承知のように、集団的自衛権が憲法九条の枠を超えてしまうというのは、ほとんどの憲法を専門にしている法律家、実務家の考え方です。国際政治の専門家の方々は、安全保障環境の大きな変化があるというふうにお話をなさいます。必要性がある、政治はここで決断をしなければいけないと。しかし、政治というものは、ある枠組みの中で初めて権力を行使できるものです。国会も内閣も憲法に従って成立をしています。その憲法の最も重要な条文について、国民がこれだけ多く批判をしている、違憲だと言っているわけです。専門家もそう言っています。
 国会の議論を聞いていると、ただ審議で時間を潰せばいずれ百時間を超え、これで議論が熟したということで議決できるだろうというふうに推移しているとしか国民には思えません。審議は十分に尽くされたか、八割に近い国民がそうではないと言っているではありませんか。どうしてこういう国民の声を無視してこういう法案が強行されるのか、私にはほとんど理解できない。
 したがって、それを学者は恐れています。学者は真理を探求する立場にあります、法律の専門家ではなくても。何が正しいか、何が適切かということについてきちんと議論が行われていれば心配はありません。
 かつ、もしこの法案が通れば、軍事が優先するプロアクティブなコントリビューション、平和についての積極的な貢献をするという安倍内閣の積極的平和主義は、軍事というものを社会の中心に置くという考え方に限りなく近づいています。これまで大学は、憲法九条の下で軍事研究をしないという建前を多くの大学が貫いてきました。しかし、国立大学に対しては、国立大学は国益にかなった研究をすべきだ、積極的に軍事的な貢献をする国がどうして大学で軍事研究をしないんだという議論がすぐに押し寄せてくることは、大学の多くの人々が感じているところです。これを恐れるから学者は立ち上がっているんだと思います。
 以上です。

○井上哲士君 ありがとうございます。
 重い言葉を受け止めたいと思います。
 水上公述人にお聞きしますが、国会の議論の中でも、後方支援について、先制攻撃などの違法な軍事行動に対して日本が行うのではないかという懸念の声があるわけですが、国際法上これを担保するものが法案の中にあるのかどうか、この点、いかがでしょうか。

○公述人(弁護士・青山学院大学法務研究科助教授 水上貴央君) 法案の中には、明確に後方支援についてはその前方たる支援対象の行為が国際法上の正当性を有しているということを示す条文は書かれておりません。更に申し上げますと、これは、書こうと思えば比較的容易に書けます。
 具体的に申し上げますと、資料の三を見ていただくと分かりますが、資料の三の四ページ目の上、2の(一)というところを見ていただきますと、支援対象行為が適法であるということを後方支援の要件にするということは、これは政府自体が説明をしていることです。違法なことには加担しませんというふうに政府自体が言っています。そうである以上は、そのような条文を提出することが政府の当然の責任だと思います。
 そのように考えると、重要影響事態法二条三項に、後方支援活動は、その対象となる外国の行為が国際法に照らして明らかに適法であると認められる場合に初めて実施するものとすると書けばよいのです。このように書いてあれば、それでもやるかどうかという政策判断の問題はあるでしょうが、少なくとも、政府が言っていることと条文の内容は合っているということになります。しかし、そのようになっていません。とすると、政府は条文の内容と異なる説明をしているということになります。
 以上です。

○井上哲士君 ありがとうございます。
 引き続きですけど、先ほど、九十五条の二ですか、フルスペックの集団的自衛権行使につながるじゃないかという御指摘がありました。私たちも大変重大な条文だと思っております。
 日本共産党提出の資料の中で、自衛隊はやる気満々だと、こういう御紹介ありましたが、少し具体的に、どういうことか御説明いただけるでしょうか。

○公述人(水上貴央君) 日本共産党、日付等々は後で質問者の方から補足いただければと思いますけれども、が御提出いただいた共産党の幕僚本部の内部資料を見ますと、いわゆるこれはアセット防護という名前になっています。これについては、平時より実施することができるというふうに書いてあります。
 これ、御覧いただくと分かるんですが、かつ、是非この後しっかりとした国会審議をしていただく際には明確にしていただきたいんですが、有事にはできないということでいいんですねという質疑が少し足りないと思うんです。つまり、重要影響事態においては自衛官の武器使用は行われ得るのか、あるいは存立危機事態防衛の枠組みの中では自衛官の武器使用というのは行われ得るのかということは、政府が明確にこれしませんという答弁をまだしていないように思います。
 ちなみに、存立危機事態防衛と重要影響事態の後方支援は重なり合うという説明をしています。つまり、存立危機事態においても後方支援できるという説明をしていますから、それぞれの法律概念は重なり合うことが予定されていると思うんですが、とすると、武器使用という枠組みの中で何でもできるんじゃないかという懸念が今の法律上あるということになります。
 したがって、そうでないというのであれば、そうでないということを明確に、法律あるいは答弁上明確にする必要があると思いますが、現時点、私が把握している限りでは、そこは明確になっていないんじゃないかなという理解をしています。

○井上哲士君 ありがとうございました。
 次に、伊藤公述人、そして水上公述人にそれぞれ聞くんですけれども、必要最小限度の実力行使に関連して、伊藤公述人の公述からは、あくまでも相手国からの攻撃を排除するだけである、他国領域での反撃などは米軍が実施するんだと、こういうお話がありました。
 一方、今回の存立危機事態は他国に対する攻撃を排除するわけですから、これは勢い他国の領土、領海に行って排除するということにならざるを得ないんじゃないか、それをできないとすれば存立危機事態を放置するということになってしまうと思うんですが、その点、それぞれにお聞きしたいと思います。

○公述人(前海上自衛隊呉地方総監・海将 伊藤俊幸君) まず、他国に対する武力行使、攻撃があった場合、これは、それが我が国の存立、そして国民の生命、自由、そして幸福追求権に著しく影響するかという、更に条件がはまっているんですね。ですから、それに照らして他国がやられているかどうかです。ですから、何でもかんでも外国がやられたから我が国が武力行使をするというふうにはどう考えても読み込めないんです。そのようにはなっていません。
 ですから、あくまでもそれが我が国のなんですね、我が国の国防に関わるかどうかの選択肢があってということですから。先ほど私が申し上げたように、想定されるとするならば、まだグレーゾーンで日本が有事じゃない状態でも他国が日本を守ってくれる状態が出てくるんですね。その守っている、日本を守ってくれている軍隊が攻撃を受けた場合、それを排除してあげる、それがあくまでも限定的、必要最小限度の排除行為ということが言えて、極めて明確な歯止めがあるんだと私は思っております。

○公述人(水上貴央君) まず、必要最小限については、先ほど少しだけ申し上げましたが、条文上、必要最小限という文言は使われておりません。事態対処法の三条四項の規定を見ますと、「存立危機事態においては、存立危機武力攻撃を排除しつつ、その速やかな終結を図らなければならない。」、この後、「ただし、存立危機武力攻撃を排除するに当たっては、武力の行使は、事態に応じ合理的に必要と判断される限度においてなされなければならない。」と書いてあるのであって、必要最小限と書いてあるわけではありません。これに対して政府は、これは必要最小限という意味だという説明をしています。
 この点なんですが、元々、我が国の自衛隊法上、八十八条等々にもこのような同じ規定があって、確かに、我が国が攻撃を受けているとき、我が国が攻撃を受けていてそれを排除しなければいけないときは、我が国への攻撃を排除するというのに、合理的な行為と必要最小限は一般には重なり合います。
 しかし、存立危機事態防衛は我が国に攻撃を受けていないので、かつ、事態対処法三条四項の前段、先ほど言いましたが、「存立危機武力攻撃を排除しつつ、その速やかな終結を図らなければならない。」と言っているんですね。その「速やかな終結を図らなければならない。」ということを前提に合理的な範囲と言ってしまうと、一般には必要最小限を超える可能性があります。したがって、超えていないというのであれば、明確にここは必要最小限と書かなければいけません。
 実際に、警察官職務執行法等では必要最小限という文言は使われていますから、法律上必要最小限という文言を使うことはできます。それにもかかわらずそうなっていないということは、やはりこれは単なる専守防衛の枠組みを乗り越えてしまっているのではないかという懸念が十分合理的に成立し得ると考えています。

○井上哲士君 ありがとうございました。

ページ最上部へ戻る