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訪米日誌
2010年5月2日

パス発行で4時間半/NPT議長と会談

 午後からNPT会議議長となるフィリピンのカバクチュラン国連大使と会談。議長は、核兵器禁止条約の重要性と新たな可能性の広がりを述べつつ、「会議には地雷が埋まってる」と会議が楽観できないこと率直に述べられました。

 志位委員長は日本共産党としてのNPT会議の二項目の要請文書を手渡し、2000年の再確認と前進、核兵器廃絶を主題とし、この目標にいたるプロセスを検討する国際交渉を開始することを要請しました。

 議長は要請文を一読し「たいへん広い知識と深い認識が示されています。感銘を受けました」と歓迎。

 志位さんは、会議には様々な困難な課題があるが、核廃絶の国際交渉の合意が問題解決の後押しになると強調。議長も「大事な問題だ」と述べ、議長として最大限できることをしたいと述べました。

 午前中は明日からのNPT再検討会議の傍聴用パスを発行してもらうために国連の事務所に行きました。ところが世界からNGOのメンバーなどが殺到したため受付に長蛇の列ができました。

 顔時写真付きパスでから、本人が並ばなくてはなりません。10時前から並んで志位さん含め代表団のパスの発行がおわったのは14時過ぎ。日陰もほとんどない歩道で4時間半も待って、早くも日焼けをしてしまいました。

 NPT議長との会談が15:00からだったため、お昼はぬきで会談へ。結局、食事にありついたのは22時でした。その顛末は下記で。

市内パレード/ブロードウェイ

 NPT議長との懇談を終え、ニューヨーク市内の「核兵器のない世界のための国際行動デーパレード」に合流し、高層ビルが立ち並ぶ42番街を核廃絶の思いをこめて歩きました。

 シュプレヒコールのない静かなデモですが、横断幕やプラカード、のぼりなどで道行く人々にアピール。手を振ったり、Vサインを示す沿道の人の姿もありました。

 原水協の先頭を横断幕を持って歩いのたのですが、歩いている途中でも志位委員長と並んだ記念写真を求める参加者が次々とありました。パレードの終結点に積み上げられた署名の前に到着した後がすごかった。

 到着した行進者のみなさんが次々と志位さんとの記念写真を求めてこられ、県や団体ごと、グループなど延々と続きました。私や笠井さんも一緒に写ったり、京都や愛知の代表団の記念撮影に加わったりしました。

 京都の吉田4区候補、長崎のふちせ選挙区候補、愛知の大村豊田市議、横井岩倉市議、広島の辻県議、村上広島市議、藤本市議候補などなど、全国の地方議員や国政候補のみなさんともたくさんお会いできました。ご苦労様!

 さて、今日は日曜日であり、このパレードで行動も終了。日本共産党トップの発訪米であり、アメリカ文化の粋にも触れようではないかという話になり、ブロードウェイにミュージカルを観に行くことになりました。

 ホテルにもどって汗だくの体にさっとシャワーをあび、昼につづき夕食もぬきでブロードウェイへ。志位さん、笠井さんと一緒に「マンマ・ミーア」を観ました。

 アバのヒット曲が次々と繰り出されるステージ。言葉が十分に分からなくても、歌と踊りでとんとん楽しめますが、偶然、飛行機の中で見たビデオが「マンマ・ミーア」だったので、いっそう楽ししめました。さすがエンターティメントの本場と思わせる見事なステージでした。
終演して外に出て驚いたのは、馬車が走っていたこと。それより驚いたのは、「キャー、志位さんだ」と女性たちがよってきて写真撮影が始まったこと。NPT 行動に参加したみなさんで、マンマ・ミーアを観ていた人たち。ブロードウェイで歩道でいきなりカメラにとりかまれて、「どこのスターだ」と道行く人もびっくりでした。

 と、いうことで、やっと食事にありついたのは、22時。ホテル近くの日本居酒屋で喉をうるおしながらの夕食でした。


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