7月の参院選で、日本共産党の5人の比例候補の一人、井上さとし議員(55)は、担当地域の京都、愛知、静岡、岐阜、三重、長野、新潟、富山、石川、福井の10府県を奔走しています。政治家としての原点は何か、生い立ちや家族との関係も含めて語りました。
サッカーどころ
僕の父は銀行員だったので、広島県内で転勤を繰り返しました。僕が生まれる前後の数年間だけ山口県でした。生まれてから高校までずっと社宅住まいです。母と、2人の姉がいました。父は、ずるや不正が嫌いな人でしたが、それ以外は自由放任な家庭でした。
子どものころ、広島は静岡、埼玉と並ぶサッカー「御三家」といわれていました。僕も小4からサッカークラブに入りました。ポジションは今でいうミッドフィールダー(MF)。市内には後に日本代表で活躍する選手も多く、木村和司選手は同い年、金田喜稔(のぶとし)選手(いずれも県立広島工業高校で活躍)は一つ上でした。
今でも超党派の国会議員のサッカーチームでプレーしています。日韓ワールドカップに向けて日韓国会議員の定期戦が行われるようになり、イングランドやロシアの国会議員、中国の全人代(全国人民代表大会)のチームとも試合をしました。2006年の韓国戦では「共産党は専守防衛だからセンターバックをしてほしい」といわれ、体を張った「防衛」で優秀選手に選ばれました。
『破戒』読み憤り
本が好きで、小学生からよく読んでいました。『破戒』(島崎藤村)を読んだのは中学のとき。主人公・丑松(うしまつ)が受けるいわれなき差別に憤りを感じて、人間の平等や権利について考え、社会問題への関心を強めました。
小学校で児童会長、中学では生徒会長もやりました。中学でのスローガンは「一人はみんなのために、みんなは一人のために」でした。今でも好きな言葉に上げる一つです。市内の中学生弁論大会にも出て、優秀賞をもらったのを覚えています。
旧広島一中の県立国泰寺高校に進学したのは『次郎物語』(下村湖人)の影響です。旧制中学のバンカラ的な雰囲気にあこがれ、伝統校を選び、応援団長も務めました。
高校入学早々、5月ごろに映画「ひろしま」(関川秀雄監督)の上映会がありました。数万人のエキストラを使って8月6日の広島市をリアルに再現したものです。舞台の一つが広島一中でした。がれきにはさまれた姿、一中校歌を歌って励ましあいながら避難する生徒たち...。私と同じように、希望に胸を膨らませて入学したのに、命を奪われてしまった。
親類に被爆者がいるという友達は多く、自宅近くにも慰霊碑がありました。でも、子どもからすると原爆投下、被爆は昔話でした。それが「ひろしま」を見て、頭の上からガツンとやられたような気持ちになりました。「なんでこんな理不尽が許されるのか」「なんで命が粗末にされるのか」...。ますます、社会への関心が強まっていきました。(つづく)
(了)